2F 平家物語
第2景「平家に非ずんば人にあらず」

忠盛の嫡男、平清盛は、保元・平治の乱での目覚ましい勲功により平治の乱から僅か八年で、ヒラの参議から十一位、太政大臣という最高の位に昇った。同時に一族の多くの者たちも高位高官に就き、武力をもって専横に振る舞うのだった。
清盛の長男、重盛も40才で正二位内大臣左近衛の大将にになった。その長男、即ち平清盛の孫維盛は、24才のとき、従二位右近衛の中将になった。また、平家一門の人々が、安芸の国など30数か国の国守となり、全国の半ば以上を支配した。
更に、清盛の妻の妹と後白河院との間に産まれた皇子が高倉天皇になると、清盛の娘の徳子(とくし)を高倉帝に入内(じゅだい)させて皇室との繋がりを固くした。これには眉をひそめる人が多かった。
清盛の家は、もともと皇后や中宮を出す家柄ではないからである。
しかし、清盛の娘、徳子の産んだ皇子は、三才で即位して安徳天皇となるのである。
こうして平家一門が権勢を欲しいままにする中で、大納言・平時忠などは、「此の一門にあらざむ人は皆人非人なるべし」と高言するほどで、世はまさに平家一門のものであった。

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